元気をもらう

体調を崩していた私を気にして、ピラティスの先生がざくろを持ってきてくれました。

先生と話していると、細かい説明無しで、自分の思いを語ることが出来ます。
こうして文章にしてしまうと陳腐な表現になってしまうのがもどかしいのですが、たぶん、向いている方向が一緒なのです。

癒そうと思っても癒せるものではない。

救おうと思っても救えるものではない。

私が出来るのは、そのひとの身体を緩めることだけ。

やはりその思いを強くしました。

救われたいと願う人がいて、手を伸ばすそのひとの目の前に何かが起き、その求めていたものを得られた時に「救われた」と思うのだと、私は思います。

救えるとか、癒せるとか、治せるとか、不遜な思いを持たず。

私に出来ること。
私の立ち位置。

私は治せません。
治すのはあなたなのです。
(お医者にかかる必要のあるものは、ちゃんとかかりましょう)

ヒーリング整体、なんて名乗ってますが、
実はやりたいことはヒーリングではないのだよなあ。
今は、この名称が一番わかりやすく、しっくりきてますが、他に表現する言葉を見つけたら、変化していくと思います。



ピラティスの先生が言いました。

「私たちが出来ることって言うのはね、『観音様のお手伝い』だからさ」


そうか。
お手伝いか。いいなあ、そう言うの。
もちろん先生が言っていることには宗教的な意味はありません。
何かの力の媒体であると言うことをおっしゃりたいのだと思います。



私が今回、体調を崩したことにはちゃんとした意味があったんだなと思います。

全部を前向きにとらえる必要はないんだけど、意味を見いだすことは大切かも。
もちろん無理にこじつける必要はないんです。
だけど、先生と話していて、ぼんやりと考えていたこと、あんまり正面から見ないようにしていたことが、やっぱり大事なことだったってことに気が付きました。


私の土台がしっかりしていないと。
土台をしっかりして、ぶれないように。
そのために、私はピラティスと出会ったんだなあと思います。
どの先生でもいいわけじゃなくて、私の先生と出会ったことが幸運です。

元気をもらいました。
ありがとう。
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by kuroneko-no-sippo | 2010-10-12 12:16 | からだ と こころ
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